ゆきぼうさんちのぽおとふぉりお

自創作を公開しています。

【小説】かみさまのいるせかい SideB Ep2

第ニ話「神話生物」

 

 検邪聖省。

 それは、唯一絶対の神を祀り、犯した罪を償い、人を再び神の園へと導く為の存在だった。

 小さな丘の上に建てられた一つの教会から始まったその信派は、今では世界中に数十億人ともいわれる信徒を持つ、巨大な組織へと昇り詰めた。側から見れば、彼らは数多の教派に分かれて争っているように見えるが、元を正せば一つの神に行き当たる。そして、すべての教派を束ねているのが検邪聖省なのである。

 神託によって選ばれた「教父」の元に、世界中のあらゆる人種から選抜された神官、預言者、そして聖騎士を従える検邪聖省は、世界最大の組織であるとともに、世界最大の学舎であり、そして唯一の「神より来たりしもの」を扱うことのできる存在である。

 枢木オーディットは、その検邪聖省に属する中でも、聖なる任務を預かる「聖騎士」であった。幼い頃に現教父によって見出され、聖座に招かれた。実のところ、その経緯はオーディットにとってはトラウマに近い出来事を経ていたので、今でも夢でうなされることがある。生まれた頃より信仰があり、神の存在を疑ったことはないのだが、それでも、もうあれから二十年は経とうというのに、一向に「赦された」気がしないのは、自分の信心が足りないからなのだろうか、あるいは、神は聖典でも言われている通りに、信仰心に対して嫉妬深いのだろうか、あるいは…

 

「どうかしましたか?」

 

 よくない考えが頭をよぎろうとした時、あの美しい声がオーディットを現実の世界に引き戻した。気がつくと、一点の曇りもないブラウンの透き通った瞳が自分の顔を覗き込んでいた。おそらく、この古書店「セラエノ」のアルバイト店員夢見マキナが、心ここに在らずの自分を心配してくれたのだろう。

 教父様に紹介されて、はるばる自分のルーツでもある日本までやってきたというのに、肝心のセラエノの店長は留守で、しかもいつ帰ってくるともしれないという。マキナによれば、年単位で帰ってこないこともあるとのことで、とても帰りを待つような状況でもなくなってしまった。だが、幸いにもというか、驚くべきことにというか、この目の前にいる可憐な女性にしか見えないマキナが、オーディットが所属する検邪聖省に妙に詳しいことがわかり、今、彼女に連れられる形でセラエノを後にして外出していたのだ。

 一般的に、普通の人間は検邪聖省のことを知ることはない。実のところ信仰を束ねる組織は表向きには別のものがあるからだ。検邪聖省は表の仕事をこなす事はない。特に聖騎士の任務は、祈りや赦しではなく、神の意思の代行である。よって、マキナが自分を一目で検邪聖省の人間だと見抜き、あまつさえ聖騎士であることを見破った時、オーディットは、マキナが見た目とは違って、自分たちの世界のことを知っているどころか、むしろかなり通じている人間である事を確信し、彼女になら自分の任務について話しても大丈夫だと安心できた。何しろ、検邪聖省の神官や神学者が誰も知らなかった、今回の任務の発端である謎の金属「トゥクル」を知っていたのだから。

 

「さっき見せた金属、トゥクルと言ったな。あれは、実はわたしの兄の消息を突き止めるたった一つの手がかりなんだ」

 

そういった後オーディットは、一呼吸おいて、慎重に言葉を選んで、だが正直に今回の任務の事を伝えることにした。

 

「わたしの家は、代々魔術師の家系で、今はわたしの兄が当主を務めている。家督を継ぐ少し前に、兄は父からある魔導書の存在を聞いた。そして、それから兄は取り憑かれたようにその魔導書を探し回るようになった。数週間前、この金属を自らの研究室に残したまま姿をくらましてしまったんだ」

 

「魔導書… ですか」

 

 まるで友達の人生相談を受けるかのような軽やかな返事をしたマキナは、雲ひとつない空を見上げながら考えを巡らせた。頭の中のインデックスを検索しながら、ひとつ矛盾めいた疑問が浮かんだので、その事をオーディットに訊ねることにした。

 

「オーディットさん、魔術師の家系なのに、検邪聖省の聖騎士なんですね。驚いてしまいました」

 

 屈託のない笑顔で核心をついた質問をするマキナを見て、オーディットは、マキナには下手な隠し事は通用しないと直感で確信した。この女性は見た目とは裏腹に、自分よりも遥かに高い知性と深い知識を備えている。家庭内のこととはいえ、自分が聖騎士を目指した理由を秘密にすることは全くもって得策ではなさそうだ。

 

「わたしの父は、とても厳しい人だった。一族の中でも飛び抜けた魔力を備えていて、一言で言えば天才だったんだ。だが、父は他人を思いやる心を持ち合わせておらず、わたしや兄に常軌を逸した厳しさで指導していた。特に長兄である兄には、虐待とも言える苛烈な指導が続き、幼いころのわたしはとても見ていられなかった。そんなわたしを見かねた母が、イタリアにある実家にわたしを預けたんだ。その後、わたしは恐ろしい思い出を払拭するかのように信仰にのめり込み、気がつけば教父様に見出されていた」

 

 思い返してみれば、兄が変わってしまったのは、父が悲惨な死を迎えてからだった。父は、おそらくはなんらかの儀式を行なっていた際に、その儀式が失敗したことにより死亡した。皮膚が全て裏返しにされ、内臓が元あった部位へと血管で結びつけられるという、およそ人の仕業とは思えない姿で発見されたのだった。その日以来、兄はオーディットとほとんど会話を交わさなくなった。

 

 そんなことを思い出しながら、オーディットはマキナに言った。

 

「兄が恐ろしい魔導書を手に入れたがっているのはわかっている。だが、わたしにはそれが父の歩んだ道と重なって見えるんだ。考えたくはないが、兄は父が行った儀式を再現しようとしているのかもしれない」

 

 マキナは、そのオーディットの推理は間違っていると考えていた。そもそも、オーディットの兄が探している魔導書は、おそらく儀式のマニュアル的なものなどではなく、もっとずっと恐ろしいものだ。だが、そのことを家督を継いだわけではないオーディットが知っているとも思えなかった。なので、マキナはとりあえず当たり障りのない意見を言うことにした。

 

「ところで、オーディットさんは、そのトゥクルを元の持ち主が取り返しに来ると考えたことはなかったのですか?」

 

 今までの話の流れをまるっきり無視したようなマキナの言葉に驚いたオーディットだったが、よくよく考えてみれば、そういう可能性もあるかもしれないと今更ながらに気がついた。

 

「い、言われてみればそうだな。考えが及ばなかった…」

 

 その刹那、オーディットとマキナの周囲が不思議なざわめきで覆われたかと思うと、まるでペンキで色を塗られているかのように、景色が見たこともない形へと変わっていった。

 

「な、なんだ!?」

 

 オーディットは咄嗟にマキナを守るように前に出て身構えていた。聖騎士という職業柄、基本的にどんな時も他人を守るように訓練されている。だが、マキナは、それまでとはまるで別人のような力強い声で答えた。

 

「これは、神話空間です!引きずり込まれます!」

 

 神話空間。初めて聞く言葉にオーディットは少し狼狽した。マキナはこんな普通ではない状況にまで知識があるのかと、今日彼女に驚かされたのは何度目かわからないが、今のが一番驚きだった。

 

「し、神話空間!?」

 

 そう言い終えるとほぼ同時に、周囲の景色が完全に置き換えられた。色とりどりの点で描かれた景色。まるで絵画の点描のような風景は、この世のものとは思えなかった。そして、自分たちからほんの20メートルほど離れた場所に、これまたこの世のものとは思えない「何か」がいるのが見えた。

 

「なんだあれは… 何か… いるぞ」

 

 オーディットは自分の目が信じられなかった。1.6メートルほどの甲殻類のような見た目の生物がそこにはいた。3本の手か足かわからない器官が生えており、地面に着いているものは足のような役割を果たしている。そして、その器官━━━触手のようなものの先端は鉤爪にもハサミにも見えるものがついており、渦巻きのような頭から、いくつもの触覚が生えていて、頭自体の色が目まぐるしく変わっている。よく見ると一定のパターンがあり、それはまるで会話をしているかのようだった。マキナは、それを指差し、顔色ひとつ変えずに言った。

 

「あれは、神話生物ミ=ゴ。そのトゥクルの元の持ち主です」

 

 神話生物。またもや初めて聞く単語だった。もはや目の前で起きていることはオーディットの理解を超えている。だが、自分は検邪聖省の聖騎士だ。ここで怖気付くわけにはいかない。万が一、人智を超えた出来事に遭遇した時のために、教父様からアレを預かってきているのだ。だが、単なる儀式のようなものと考えていたアレを、まさか本当に使うことになろうとは…

    オーディットはマキナとミ=ゴとの間に立って、右手をまっすぐに横に伸ばした。

 

「来たれ!カリバーン!!!」

 

 そう叫んだ刹那、空を眩いばかりの光が覆ったかと思うと、まるで稲妻のような音を立てて、大きな光の柱がオーディットの横に落ちた。そして、そこにはいつの間にか一振りの大剣が刺さっていた。

 

 選定の剣カリバーン。検邪聖省に伝わる聖剣の一つだった。今回の任務に出る前に、特別に教父様から授かったのだ。本来の持ち主は殉教し、もはやこの世にはいない。聖騎士である以上、オーディットも聖剣を持ってはいるが、このカリバーンは並の聖騎士では扱うことのできない最高峰の神器である。これを渡されるということは、聖騎士としても一流と認められた証なのだ。

 オーディットはカリバーンを手に取り、大地から引き抜いた。そして、剣をミ=ゴに向けた後、意味のわからないことばかり起きているこの状況を振り払うかのように、大声で叫んだ。

 

「我が名は枢木オーディット!検邪聖省の聖騎士である!神話生物ミ=ゴ!父と子と聖霊の御名に於いて、お前を滅ぼす!!」

 

 その言葉が終わると同時に、オーディットは地面を蹴ってミ=ゴに突っ込んでいった。だが、ミ=ゴは鉤爪を開いたかと思うと、そこにどこからともなく現れた銃身のようなものを取って、オーディットに狙いをつけた。攻撃の予兆を感じ取ったオーディットは、ミ=ゴの手元が光ると同時に跳躍していた。聖剣カリバーンの加護を受け、常人の何倍もの身体能力を発揮できる今のオーディットが、ミ=ゴの発した電撃の光線のようなものをかわすことなど容易かった。そして、身を翻してミ=ゴの上空から落下する速度を味方につけて、触手の一つを切り落とし、着地と同時に後方へとジャンプして体制を立て直した。

 

 触手を切り落とされたミ=ゴは、残った触手を出鱈目に振り回しながら、頭の色を明滅させた。どうやらミ=ゴは声で会話する種族ではなさそうだ。

 

 そして、オーディットは手応えを感じていた。聖剣カリバーンの力で自分の能力は強化され、光線のような攻撃であるにも関わらず、「見てからかわす」事が出来ているからだ。危険なのはおそらく残りの触手。同じような機能を持つのであれば、またあそこから電撃を放つ銃のようなものを出すに違いない。そうなる前に全て切り落とす。

 

 そう思っていた矢先だった。ミ=ゴの頭が今までで一番激しく明滅したかと思うと、何か音波のようなものがオーディットを襲った。そして、立ちくらみが起きた時のようにオーディットは膝からガクッと崩れ落ち、動けなくなった

 ミ=ゴが残りの触手を使ってにじり寄って来ても、オーディットは、まるで催眠にでもかかったかのように動くことはできなかった。意識はあるのに体がまるでいうことを聞かない。自分の目の前でミ=ゴが鉤爪の中にまたもや例の銃を出現させても、オーディットはそれをただ見ていることしかできなかった。

 

 聖剣カリバーンを与えられた事で舞い上がっていたのか。

 

 オーディットは自分の愚かさを呪った。なんと言っても、自分だけでなくマキナの命も危険に晒したのだ。聖騎士として、決してあってはならない事態だった

 ミ=ゴが銃を構え、自分に狙いをつけ、頭を七色に輝かせる。勝ち誇っているのだろうか。だが、それは本当数分前に自分がミ=ゴに抱いていた感情だった。オーディットは情けなさに涙を滲ませた

 そして、目を閉じていてもわかる輝きがオーディットを包み、だが、あの電撃の音はしなかった。不思議に思い目を開けると、目の前にマキナが立っていた。だが、さっきまでの優しい、慈愛に満ちたマキナではなく、凛とした表情で、だが決して恐ろしい怪物に対しても一歩も引かないという決意が浮かぶその姿は、文字通り神々しかった。

 

「そこまでです。神話生物ミ=ゴ。トゥクルを取り戻したい気持ちはわかりますが、盗んだのはこの人ではないことくらいわかっているはず。やりすぎです」

 

 ミ=ゴの頭が暗い色に変わる。意思の疎通ができなくてもわかる。これは恐怖を感じているのだ。どこからどう見ても怪物のミ=ゴが、マキナに。マキナの姿が少しずつ変わっていく。軽装の鎧を着た武人の女性の姿に。手には大きな美しい幾何学模様のような形をした槍のようなものが握られていた。

 ミ=ゴの頭はもはや色の体を成していなかった。触手をバタつかせ、背中から現れた羽根のようなものをはためかせて飛ぼうとしているように見えたが、上手く飛べないのか地面を這いつくばっている。

 

「勝てないとわかった時点で退くべきでしたね」

 

 そうマキナがいうと、手に持っていた槍がとてつもない光を放った。そして、その光に包まれたミ=ゴは、言葉通りに粉々に砕け散った。後には何も残らず、光が消えた時には神話空間も消えていた。マキナが振り返り、オーディットに近づいて来た。オーディットは震えていた。何か人ならざるものを自分は見ている。

 

「あ、貴方は一体…」

 

 その質問が来ることはわかっていたと言わんばかりに微笑んで、マキナは答えた。

 

「私はヌトセ=カアンブル。貴方がたのいうところの、異教の神です」

 

 信じられなかった。神が目の前にいる?しかも、検邪聖省の神ではなく、異教の神が?

 

「か、神…なのか… 貴方が…」

 

 透き通った、心を安らがせる美しい声、慈愛に満ちた笑顔、底知れぬ知識。全てが繋がった。なるほど、自分は、信じるものとは別のものではあるが、神と邂逅していたのか…

 

「オーディットさん、貴方の兄上が探している魔導書は、わたしの治める幻夢郷という地にあります。ですが、訪れる資格を持つ人間以外の者が出入りしたことは、ここ20年以上ありません。つまり、貴方の兄上はまだこちら側の世界にいるということになります。トゥクルは脳を保存して、精神だけを別の場所に運ぶために使うつもりだったのでしょう。ですが、そもそもミ=ゴがそんなことを協力してくれるはずもなく、トゥクルだけ持ち帰ったのだと思います」

 

 合点がいく話ではある。兄は知識を得るためならなんでもやる男だ。肉体を失うことなどものの数に入らないだろう。

 

「正直言って、どう言っていいのか全くわからないんだが、とりあえず手掛かりが何も無くなってしまった以上、また検邪聖省に帰って、今後の策を練ろうと思う」

 

 マキナはかぶりを振って答えた。

 

「それはお勧めしません。幻夢郷についてこの世で最も詳しいのは誰だと思います?」

 

 マキナの姿だけでなく、声のトーンも、あの優しく美しい響きに戻った。そう、教父様に与えられた唯一の手がかりを失ったのだ。あれ以上の有益な情報を検邪聖省は現状持っていない。となれば、頼るべきは目も前にいる異教の神…

 

「もちろん、わたしを崇拝しろなんて言いませんよ?」

 

 イタズラっぽく笑うマキナは、どう見ても人間で、見た目相応の可愛らしい女性だった。

    この世に検邪聖省の神以外に神が存在するなんて… 

 だが、オーディットは迷わなかった。最初から自分の心は感じていたのだ。マキナの神々しさを。

 

「わかった。しばらくの間よろしく頼む」

 

 神は実在した。礼拝堂でも雲の上でもなく、自分の目の前に。

 

つづく